くらまるついに自己紹介記事を書く!もし良ければ読んでください

くらまるついに自己紹介記事を書く!もし良ければ読んでください 自己紹介

私「くらまる」の自己紹介記事です。

需要があるかどうかはわかりませんが、良ければ読んでみてください。

結構長めです!

くらまるの生い立ち

私は1987年に島根県西部の大田市に生まれました。実家は代々神主を務める家系です。

保育園と小学校2年生までは大田市にいましたが、3年生から高校卒業までは親の仕事の都合で、出雲大社で有名な出雲市に住んでいました。

その後広島県の尾道市にある大学に進学。普段は遊び呆ける生活を送っていましたが、夏休みには実家の神社を継ぐために必要な資格を取得するために神職養成講習会に通いました。

それによって一番楽しい大学1~3年までの夏休みを潰します。

今でもあの時期は少し名残惜しいです。

大学卒業と同時に、実家の神社を継ぐことと、島根が大好きなことから即島根に帰郷し県内に資本のある企業に就職。その企業グループの事業の柱がパチンコ店だったことから、パチンコ店ホールスタッフとして勤務します。

業務的には決して楽な仕事ではありませんでしたが、給料は結構よかったために徐々にぬるま湯に浸かっているような感覚になります。ただ、自分の居場所は自分で見つけることができる職場でしたので、性格的に合っていたのか居心地はとてもよかったです。

結局8年半勤務し、その間に県内転勤4回、管理職まで昇進しましたが、サービス業という事業形態上土日等の休みがほとんど無く、実家の神社を運営しつつ仕事をするのは無理だと考え退職しました。

くらまる
実家の神社を運営しつつパチンコ店勤務は無理だ!

土日に行事の多い神社に都合の良い仕事を中心に探していると、どうやら生命保険会社が休みもきっちりしていて良さそうと、世界的には大手生命保険会社であるア○サ生命保険株式会社に中途採用で入りましたが、上層部の方針と、現場でのやり方があまりにかけ離れていたことから3か月で退職。

最初の会社を辞めた時から薄々思っていたことを強く感じるようになります。

くらまる
これからは、終身雇用なんて保証されない時代。会社に依存せずに自分の力で稼ぐ時代だ!

現在はブログ収入で生計を立てている大学時代の友人に師事を仰ぎながら、ブログの収益化を進めつつプログラミングの勉強をしています。

  • Linux
  • JAVA
  • Ruby
  • HTML&CSS

AdobeのPhotoshop、Illustratorなども使いこなせるように練習しています。

その他、いつか役に立つかもしれない知識の習得と、たるんだ体の肉体改造に励んでおります。

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家族構成

くらまる家
  • くらまる

二人暮らしです。

妻は同じ職場に同期入社で、2013年から2年交際して2015年に入籍しました。子供はまだいません。

そんな妻も、神職の資格を取得してくれました

ただでさえ社家に嫁いで大変だというのに。

本当にありがたいことです。感謝感謝

私の神社に対する考え

私個人的には、神社の運営を強化を人生の柱にしてやっていきいと考えています。

「そんな古めかしいものは切り捨ててしまえ!」という考えの方もいらっしゃるでしょうが、私は不思議とそんな気分にはなりません。

しかし現実的に田舎の神社で、神社での収入で食べていけるところなんてありません。

これはもう、自分の力で収入を作る手段を身に付けるしかないのでは!と仕事に対する考え方とリンクし、友人に色々相談しながらセルフマネタイズを進めています。

“伝統を守るためには、新しいことを始める必要がある”のです。

かつて私が神職養成講習会に通っていた頃にお世話になった先生がおり、その方も元々公務員として勤務しておられましたが、40代になって色々考えた末に公務員を辞め、神社専業になられた方がいらっしゃいます。

「公務員は本職、神主は天職」

と仰っておられましたが、その通りだなと私は思いました。

現在その方は「神主が本職であり天職」となっていますが、講演会などを精力的に行うことで生計を維持しておられます。

いつか神社で昭和中期位までは行われていたという武射神事もいつか復活させたいですし、お祭りをもっと賑やかにして、小さな町のランドマーク的存在にしていきたいという思いもあります。

小さな町ですので、若い方の流出になかなかストップがかけにくいです。ですが、もし小さいころに神社の境内で遊んだ記憶や、夏祭りや秋祭りにの思い出などが刻み込まれていたら、進学などでいったん県外に出たとしても、もしかしたら将来帰ってきてくれるかもしれません。お祭りの時だけでも帰ろうって思ってくれるだけでもいいのです。

私は神社の運営に携わる中で、”町興し”と、“ふるさとを作る”ことを目指しています。

私もいつか、「神主が本職であり天職」と言ってみたいものですね。

部活歴

小学5年の始めに新設されたミニバスに入りますが、途中で気づきます。

「おれ手でボール扱うの無理だわー」

小5の3学期に2度目の引っ越しもあり、それを機会にバスケは辞めました。スラムダンクとか今だに読んだことないです。

転校先では、サッカー部に入ります。結構遅めの入部だったので周りのうまさには追いつけなかったものの、それなりに楽しくやっていました。今でもフットサルとかたまにやるのは好きです。下手ですけど。

中学校に進学すると、なんと全員何かしらの部活に入部しないといけない方針でしたが、衝撃的だったのは部活の数。

  • 男子…野球部、吹奏楽部、美術部
  • 女子…バレー部、吹奏楽部、美術部

「…選ぶ余地ないやん…!!」

とかぼやきつつも全員入部が義務づけられていたので、吹奏楽部に入部。金管楽器最大のチューバを担当していました。おかげで楽譜が読めるようになりましたし、音感も鍛えられました。

結構本気で3年最後の大会前までは取り組んでいましたが、大会直前の合奏練習中に女子がよく抜けていくなぁと思っていたら、別室でサボっていたのを発見。

一気に萎えました。大会でいい成績を残せなかったことを泣いていた女子達をみてさらに萎えました。

高校では、弓道を選択。両親が高校時代弓道部だったことに強く影響を受けていたからです。

通常、弓道部がある学校には弓道場があるのですが、私が進学した学校には弓道場はあっても屋根は無く、的を取り付ける土の山(安土と言います)も手作りの、まだ創部5年目くらいの弓道部でした。

1年次の冬には日本海側特有の強風で、安土を盛ってある壁が吹き飛びました。一時的に弓道部は土木部になり、また手作りしました。

でもそれが逆によかったのか、ハングリー精神に火がつきました。

1年次の秋には、中国ブロック秋季新人戦で団体3位に入り、2年次春には、その直前の全国大会で優勝したS高校も出場した山陰弓道大会で個人優勝するなど、努力に結果が伴う快感を覚えながらの幸せな時期でした。

問題が発生したのは高校3年の冬、体育の授業でフットサルをしていた時のことでした。クラスメートの蹴ったボールが私の左手親指に変な向きで当たり、骨折

何とか春の公式戦までには間に合いましたが、最後まで調子を取り戻せず国体候補選手への推薦はもらえませんでした。

大学では部活はしていませんでした。進学した大学に弓道部が無かったからです。隣町の弓道連盟(社会人団体のようなもの)に所属していましたが、遠くてほとんど行きませんでした。

今後の人生をどう生きるか

私には、神社を継いでいく責任があります。誰に押し付けられたわけでも強制されたわけでも無いですが、自分自身で決めた道です。

そのために必要なのは、自分自身の力で収入源を作ること!

まずはこれに尽きます。

一旦就職するのもいい。けどいつか独立して、神社とふるさとに向き合うことを本職にしてくつもりでいます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

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