「ヤマト」は何故「大和」なのか⁉︎

神道のお話

日本の冬季オリンピック歴代最多メダル獲得した平昌オリンピックが閉幕し、現在はパラリンピックが開催されていて、日本勢も金メダルこそまだ獲得していないものの、快進撃を続けています。

ところで、オリンピックやパラリンピックをTV観戦していると、応援席に横断幕で「大和魂!」と書かれているのをよく目にしますよね。

今でこそ「大和」=「ヤマト」と違和感なく読むことができますが、「ヤマト」という言葉に何故「大和」という漢字が当てられるようになったか気になったことありませんか?

今日は「ヤマト」が「大和」になった経緯と、込められた意味に迫ってみようと思います。

「ヤマト」の起源

そもそも「ヤマト」という言葉の起こりは、諸説あります。

1.「山門」「山処」説

日本には古代より山岳信仰が根付いており、つまり信仰の対象への入り口、あるいは信仰の対象そのものを指す「山門」「山処」という説。

2.卑弥呼が治めた「邪馬台国」説

3世紀中頃に登場し、日本人なら誰もが知るシャーマンウーマン卑弥呼が治めたとされる「邪馬台国」「やまたい」⇒「やまと」変化したという説。

古くは「邪馬台国」に「ヤマト国」という音訳を当てていたと認識されていましたが、江戸時代に新井白石が「中国では”やまたい”っていうんだよ」という一言で「やまたい国」という呼び名が定着しました。

3.三輪山の「山東(さんとう)」説

奈良県桜井市にある三輪山の東側を中心に王権が発展したことに由来し、「山東」=「ヤマト」とする説。

ちなみに三輪山は古代より原始的な信仰の場であり、山岳信仰の代表ともいえる場所です。同じく桜井市に鎮座する大神神社(おおみわじんじゃ)のご祭神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)のご神体です。

 

ここには3つの例を挙げましたが、きっともっとあるのでしょう。

どれも私たちが中学高校の歴史の授業で習った「ヤマト王権」「大和朝廷」といった言葉が出てくるよりも遥か昔の話ですね。

「ヤマト」から「倭」そして「大和」へ

古墳時代(3世紀中期~7世紀)

漢字文化が伝わり始めた古墳時代に、「ヤマト」に「倭」という文字が当てられましたちなみに「倭」という呼称は、古代中国の歴史書『漢書』(紀元前150年)に初登場しています。

当時の日本も、『倭国(わこく)』を自称していました。(古墳時代)

飛鳥時代(592年~710年)

飛鳥時代(7世紀)に入ると『大倭国』という文字が一般化していきます。飛鳥時代の後半に、国号が「日本」に定められましたが、それでも『大倭国』という表記が中心でした。

奈良時代(710年~)

その後、奈良時代には政争により『大倭国』⇒『大養徳国』⇒『大倭国』と次々と表記が変わりますが、757年に『倭』という言葉を使用するのは国号として相応しくない(”倭”は小さくなよなよしたといった意味)として、同音好字(同じ音でよき字)の『和』という文字が使用されるようになり、『大倭国』⇒『大和国』が定着していきました。

 

学術的、古代歴史学的にみると、以上の流れとなります(かなり端折ってますが…)

『ヤマト』という言葉は3世紀以前から存在しており、中国からの漢字文化流入により『倭』という感じが当てられ時代の流れとともに『倭』⇒『大倭』⇒『大和』と変遷していったわけです。

しかし!!!私が保険営業マン神主として紹介したいのは別の説なのです。

『大いなる調和』説(妄想編)

『大いなる調和』説なんてちょっとカッコつけましたが、一体何と何が調和したのでしょう。

これには、日本を代表する2社の神社が関わってきます。

2社の神社とは…神道における本宗である伊勢神宮”と、縁結びの神で知られる出雲大社”です。

2社とも日本を代表する有名な神社なのですが実はこの2社、見事に対照的なのです。

  伊勢神宮 出雲大社
ご祭神の性別 女神(天照坐皇大御神) 男神(大国主大神)
ご祭神支配地 高天原(天)  ⇒ 現世(目に見える世界) 葦原中国(地上)  ⇒  幽世(目に見えぬ世界)
本殿の造り
  • 社殿は低く横に広がる
  • 屋根は切妻造平入
  • 屋根は直線的
  • 社殿は高く上に伸びる
  • 屋根は切妻造妻入
  • 屋根は曲線的
方角による観念 東は日が昇る方角であり、生の象徴 西は日が沈む方角であり、死の象徴

どうでしょう?見れば見るほど対照的だと思いませんか?意図的でないとなかなかここまで対照的にはなりにくいですよね?

ちなみにそれぞれの創建年数(推定)については、出雲大社は国譲り神話の中で、大国主が「地上を譲る代わりに天まで届く社を用意してくれ」と依頼したことから建てられました。つまり創建は神代と言うことになります。

対して伊勢神宮は、細かい説明はそのうち書く事にしてここでは省きますが、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照坐皇大御神を祀るのにふさわしい地は伊勢と定めたのが紀元26年とされています。

対照的な2社ですが、地図上で直線状に結ぶと面白いことがわかります。

伊勢神宮と出雲大社と平城京の位置関係

かなり有名な話ですが伊勢神宮と出雲大社を直線状に結ぶと、その線上に平城京があるのです。

つまり、”対極”する2社を結ぶ線上に都を置くことで「大いなる調和」を図り、「ヤマト」には「大和」を当てたというわけです。

『ヤマト』という音に対して『大和』という文字が当てられるようになったのは8世紀中頃の奈良時代ですから年代的にも一致しますね。

この説に関しては、かなり個人的見解と妄想が含まれているので現実的ではありませんが、ロマンがあっていいじゃないですか。

こういうの大好きです。

まとめ

『ヤマト』=『大和』については、古代から『ヤマト』と呼ばれる地、あるいは組織が存在し、時代の変遷と共に当てられる漢字が

『倭』⇒『大倭』⇒『大和』と移り変わっていったというのが定説です。

そしてロマンあふれる説として「大いなる調和」説が少数派ながら存在します。

今回のオリンピックでは、スピードスケート500mで金メダルに輝いた小平奈緒選手と、韓国のライバル、イ・サンファ選手が見事な調和を見せてくれましたね。小平選手は「大和魂」=「大いなる調和を生み出す心」を見事に体現して見せたわけですね。

そんな風に考えると、この妄想説も少しいいものに思えてきますよね。

最後までご覧いただきありがとうございました。